BBSH復学〜AS 3卒業までの記録を、旧ブログから再編集してお届けしています。
他の読みものとは異なり、時系列に沿った連続もの(シリーズ)です。
3回目は復学手続きを終えて宿題を書き上げたものの、まだ「ヒーリングを学ぶ人」としてみられることに戸惑っている頃のお話し。
最初の宿題提出期限は新学年が始まる約1ヶ月前だった。
お盆明けから引きずっていた風邪の悪化をはさみながらも、ヒーリングセッションのレポートをどうにか書き上げた。
大変なのはこのレポートで、終わった途端に一段落ついた気分になってしまう。
というのも、Year 2にもなると宿題での質問事項が一気に増え、そのうえに6年のブランクと英訳。
仕事をしつつ2週間ほどかけて取り組んでいた。
宿題のためにセッションを立て続けにこなしているとき、「ヒーリングをする人」という看板にまだ慣れない自分に気づいていた。
私の一部が「ヒーリング?その怪しいお話はなんですの?」と眉間に縦じわを入れているのだ。
しかし体験・体感とは強力なもので、無視できない何かがある。
6年前の宿題セッションのときにはしばしば「手の触れていたところがずっと温かくてまだそこに手があるみたいだった。」と言われたことがあった。
復学前のセッションでもまた同じ感想をいただいて、「ひょっとしたらエネルギー的な手がその場に残ったままなのかしら?」と訝しがりつつも、仮にそうであったとしても一旦はエネルギー的なコネクトが起きているとも言えて、そうであればこの温かさの感覚は私の「怪しい話し」という判断をおろす方向性をもたらすものだった。
宿題1回目の締め切りに合わせてEMSで書類をフロリダへ送った。
復学当時はヒーリングセッションのレポートはプライベートな内容を含むという理由で郵送が必須でであった。当時で一通2,000円也、速さの分だけお高い。
20年前の卒業生の方のお話を聞いていると、2週間前には発送しなければ締め切りに間に合わず、英訳を人に頼んでいる場合はそれに必要なにっすも含めて宿題に取り組む必要があったとか。
なお、現在はほとんどの学生が電子的な方法で提出する。
ホメオパシーやヒーリングといったいわゆる補完的ケアの世界に携わっていると、「お世話好きないい人」のような印象を持たれることが多かった。
実際の私は少し違っていて、ものごとの構造・仕組み全般に興味があり、その中に人体の仕組みが入っている状態。
現代医療の理解とは別の生命の構造を取り扱うのがホメオパシーでありBHSである。
音楽や絵画に対する関心も、きっかけは仕組みに着目してのことだ。
そしてその仕組みを知り理解するには実践が早道。
BBSHのYear 1の頃には同級生に志の高い方がいらっしゃって、「世界を癒したい」と常々おっしゃっていた。
あまりにもスケールの大きな話で当時は圧倒されていたし、同時に自分の立ち位置はまた違ったところにあり、それは人それぞれであるとも思った。
Year 1を終えた段階の当時はセッションで何をするかを説明しようとしても、自分自身まだよくわかっていないところも多く苦心した。
各種のヒーリングテクニックを用いて肉体のエネルギーの流れを整える一連の手技は、学年とともに肉体を超えた深い次元へとアクセスしていくのだということは耳にしていた。
しかし「仕組み」として腑に落ちるのは随分先のこととなる。
