BBSH(バーバラ・ブレナン・スクール オブ ヒーリング1)のカリキュラムには、いくつもの学びの柱があります。そのひとつが「性格構造学=キャラクトロロジー」です。もともとオーストリアの精神科医ヴィルヘルム・ライヒが提唱した概念で、BBSHでは年間5回のスクーリング(Class 1〜5)それぞれで、5つの性格構造のうちひとつにじっくり向き合うという構成で、全学年を通して学び続けるテーマになっています。
「性格構造」は、生き延びるために作られた
私たちの反応パターンは、受肉2から思春期あたりまでの間に、その人がどんな出来事を体験し、それをどう感じたかによって形成されます。その体験には、ポジティブなものもネガティブなものも、両方含まれます。
その体験を、スクールでは便宜的に”傷”(Wound/ウンド3)と表現することが多いのですが、これは単なるダメージという意味ではなく、”神聖な傷”とも言い換えられます。その傷を通り抜けることによってこそ、人は本来の自分の資質にたどり着ける、という考え方に基づいているからです。とはいえ正直なところ、”傷”という言葉の響きには、いまだにネガティブな重さを感じてしまうこともあります。同じ出来事が同じタイミングで起きても、受け取り方人それぞれ。その人固有の感受性があるからこそ、その体験は意味を持ち、個としての輝きにもつながっていく――そう捉えるほうが、しっくりきます。
その傷の痛みへの抵抗のために身につけた防衛の形、というのがこの考え方の出発点です。防衛が生まれること自体は、より大きな視点から見ればネガティブなものではありません。その時期のその環境で、自分を守るために最善の方法だったのです。
ただし、それを大人になっても無意識のまま使い続けることで、その人本来の人生の創造から遠ざかってしまうこともあります。そしてその防衛のパターンの中には、その人固有の才能や強みも宿っています。
人はもともと、何かしら偏ったものを抱えているからこそ存在している。その偏りのパターンを、便宜的に大きく5つに分けたのが性格構造学です。
性格構造〜5つの種類
BBSHでは、発達段階ごとに生じる防衛のパターンを5つに分類しています。近年では、旧来の呼称が持つ否定的な印象を補うために、各構造の肯定的な性質を表す新しい名称も併用されています。誰もがすべてのタイプの要素を併せ持っており、ひとつだけに当てはまるわけではありません。多いか少ないか、ただそれだけの違いです。
スキゾイド/クリエーター・ドリーマー(Schizoid/Creator・Dreamer) 中心的なテーマは、身体を持って存在することへの恐れです。「自分は存在してはならない」という固い信念のもとに防衛が築かれている構造です。感覚や感情から離れることで安全を保とうとする傾向がある一方、豊かな想像力と創造性を持ち、夢やビジョンを生み出す力に長けています。
オーラル/コミュニケーター(Oral/Communicator) 中心的なテーマは、必要なものを受け取ることです。「自分は決して満たされない」という固い信念のもとに防衛が築かれている構造です。欲しいものを求めることへの不安や依存の葛藤が現れやすい一方、他者とのつながりを大切にし、言葉や感情を通じて深くコミュニケーションする力を持っています。
マゾキスト/ソリディファイアー(Masochist/Solidifier) 中心的なテーマは、自分の空間を主張し、自分らしく行動・表現することです。「自分はコントロールされている、侵略されている」という固い信念のもとに防衛が築かれている構造です。感情を内側に押し込める傾向がある一方、粘り強さと着実さを持ち、物事を地に足をつけて実現していく力があります。
サイコパス/インスパイヤラー(Psychopath/Inspirer) 中心的なテーマは、他者への信頼です。「他人は決して信頼できない」という固い信念のもとに防衛が築かれている構造です。自分の外側コントロールすることで安心を得ようとする傾向がある一方、人を動かすビジョンと影響力を持ち、周囲を鼓舞する力に優れています。
リジット/アチーバー(Rigid/Achiever) 中心的なテーマは、自分自身への信頼です。「自分の感情につながってはならない」という固い信念のもとに防衛が築かれている構造です。感情をコントロールし頑張ることで価値を示そうとする傾向がある一方、高い目標に向かって着実に成果を出す力と誠実さを持っています。
なぜ呼び方が変わったのか
従来の呼称(スキゾイド、オーラル、マゾキスト、サイコパス、リジット)は、いずれも精神医学の診断名を借用した呼び方です。これはあくまでBBSHという一つのスクールでの便宜的な呼称であり、他の性格構造学の書籍を読むと表現が異なっていたり、そもそも分類の数が5つとは限らなかったりします。
現在でもこれらの呼称は文献や学びの場で使われていますが、精神疾患の診断名をそのまま使っているためにセンセーショナルに響いてしまうこと、そしてBHSプラクティショナーは国家資格を持つ心理学や精神科の専門家ではないという立場を明確にしておきたいという意図から、スクールではすでに呼び方の見直しが完了しており、新旧どちらの呼称も併用されるようになっています(もっとも、心理学や精神医学の専門家がBBSHでも学んだ、という例は少なくありません)。
呼び方が変わるだけでなく、レクチャーの姿勢そのものも、「この5つの型は、その人がいかにその人自身ではなくなっているかを表したものである」という立場を、より丁寧に伝える方向に進んでいると感じます。どの構造も優劣はなく、それぞれに固有の美しさと課題があります。
肯定的な質にも光が当てられるようになり、否定的・肯定的、両方の質をそろえて学べる形が整ったところです(後で触れるサイコパス型の例が、まさにその両面を表しています)。これから先は、この両方をさらに統合していく時代に入っていくのではないかと感じています。
「私はスキツォイドだ」という言い方の、どこが違うのか
バーバラはこう述べています。
「自分はスキツォイド(型性格構造)だ」という言い方は、正確ではない。
性格構造の分類が示しているのは、その人がどれだけ本来の自己から分離して、その防衛パターンを取っているか、ということです。
つまり正しくは「自分はスキツォイドなのだ」ではなく、「本来の自己はスキツォイドではなかった」。
本来のわたしたちは、どの性格構造でもありません。宇宙の端と端にいても見分けがつくほど唯一無二の光――コアスター4の輝きこそが、本質です。地球というこの場所を生き抜くための一時的な防衛方法として、5つのパターンのいずれかを選び取っているだけ。そのことを置き去りにしてしまうと、色々としんどくなってしまいます。
分類がジャッジメントの道具になる瞬間
ここまで理屈を並べてきましたが、正直に書くと、わたしはこの性格構造学という科目そのものに、学びながらずっと苦手意識を持っていました。
「私は◯◯の性格構造が強いから」「あの人は◯◯の性格構造が強いよね」――そんなふうに性格構造をベースに何かを語るとき、そこにジャッジメントの気配が混じることがある。他人に対してだけでなく、自分自身に対しても、です。そしてそのとき、自分は自分自身とも、相手とも、うまくコンタクトが取れていないような感覚になる。
人は未発達な部分や防衛パターンを指摘されると、「自分が間違っている」というところまで簡単に落ちてしまいます。本当は「あなたが間違っている」のではなく「その方法が今のあなたには合わなくなっている」というだけの話なのに。落ちてしまうと、そこから真実が見えなくなる。これはつらいことですし、癒しとは逆方向のベクトルです。
ジャッジメントが厄介なのは、それによって人の中の”子供の意識”の領域が増えてしまう、という点にあります。人は本来、不完全であることがそのままの姿です。その不完全さを良いも悪いもなく受け入れられるのが”大人の意識”。一方、子供の意識はその不完全さを抱えたままでいることができません。
性格構造学は、本来なら本来の自己に戻るための入り口であるはずのものです。ところがこれを使ったジャッジメントは、自分自身を含め、ジャッジされた側の人を子供の意識へと押し込んでしまう。子供の意識にいる限り、人は真実からますます遠ざかっていきます。そのうえ、大人の意識へ移行していく道からも引き離されてしまう。子供の意識では抱えきれないその人の弱点を、外側から何とかしようとする力が働くからです。結果として、その人の内的な成長は起こらず、同じ痛みを繰り返す、あるいは転移5の対象をすり替えただけで、同じ傷をかたちを変えて再創造し続けることになってしまう。
性格構造の分類は、使い方を誤ればこうしてジャッジメントの便利な道具に成り下がります。ジャッジメントは人を大切なFeeling/フィーリング6※6から遠ざけ、結果としてその人の魂の進化・深化のプロセスとは逆方向に働いてしまう。逆を向かせるだけならまだしも、進化や深化の道そのものを閉ざしてしまうことすらある。だからこそ、この分類はカテゴライズのための道具ではなく、自分自身、他者、神聖な存在、宇宙――あらゆるものとの関係性を癒すためのツールなのだと、わたしは考えています。
セッションの中でこの分類を扱うときも同様です。「この人はこの構造」とラベルを貼るためではなく、その人のエネルギーフィールドと人生のどこで葛藤が起きているのかを合わせて丁寧に見ていくものです。
おわりに
性格構造学は、「あなたはこのタイプだ」と誰かを型にはめるための理論ではありません。むしろその逆で、「本来のあなたは、どの型でもない」ということを思い出すための地図のようなものだと、今は捉えています。
5つのパターンはどれも、この地球という場所を生き抜くために、幼い頃のわたしたちが選び取った一時的な防衛方法にすぎません。その奥にある、宇宙で唯一無二のコアスターの輝き――そこにこそ、本質があります。
(※注:本記事はBHSの学びに基づいた説明であり、精神医学的な診断・分類とは異なります)
このシリーズを読む方へ 「BBSH生活ノート」(BBSH学生時代の記録)シリーズでは、性格構造学の概念がたびたび登場します。このページを参照しながら読んでいただくと、文脈がつかみやすくなると思います。
- BBSH(Barbara Brennan School of Healing):ヒーラーであり物理学者でもあったバーバラ・ブレナンが創設したヒーリングスクール。本コラムで扱う性格構造学は、同校のカリキュラムの一部として教えられている。 ↩︎
- 受肉:魂がこの世に生まれ、肉体を得ること。 ↩︎
- Wound /ウンド:幼少期に受けた印象的な体験を通して獲得された痛みを指すBHS用語。“神聖な傷”とも呼ばれこの痛みを通り抜けるプロセスの先にその人の本来の資質があるとされる。 ↩︎
- コアスター(Core Star):その人の本質。宇宙で唯一無二の輝きを示すBHS用語。 ↩︎
- 転移:過去の関係性を(多くは幼少期の重要な人物との関係)で生まれた感情やパターンを無意識のうちに別の対象に向け直してしまうこと。 ↩︎
- Feeling/フィーリング:子どもの意識の反応としてのEmotion= 感情ではなく、その人の総体で感じている生の感覚や気持ちを指す。 ↩︎
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